「励ましと力づけ」

A. 卓球の佐藤 健先生との出会い

 教会の順牧師先生は、新宿区スポーツセンターの卓球教室に参加されています。指導者は、クリスチャンの元中央大学女子卓球部監督の佐藤 健先生です。順先生は卓球の佐藤先生に、牛込キリスト教会の礼拝での証しを依頼すると、快く承諾してくださいました。信仰を持っている者は、訪問して信仰を語り合うことで、互いに励まされ、力づけられるのです。
 使徒パウロは、かつて宣教した地域を尋ねようと提案します。

B.聖書より

数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」使徒言行録15章36節   
 しばらくアンティオキアに留まって教えていたパウロは、かつて教会を開拓した町を回ろうと提案します。あの町、この町にいる信仰の兄弟姉妹のことが気になり、また訪問しようと考えたのでした。
 信仰生活というものは、自分では真っ直ぐに歩いているつもりでも、いつのまにか、曲がっていたり、この世の誘惑に負けてしまったりしている場合があります。イエス様が救い主であると認め、イエス様よる罪の赦しと恵みが、新しい人生の基盤であることを忘れないよう、お互いに訪ね合うことが大切です。自分自身もそのことによって、慰められ、力づけられるからです。

C. 認知症のスピリチュアルケア

 クリスティーンが認知症と診断されたとき、「一番怖いのは、やがて家族も、友達も、自分さえも誰かわからなくなったら、神もわからなくなるのではないかということなんです」と話しました。認知症の特徴は、記憶障害です。そして多くの高齢者が怖れているのは、認知症になると、周囲から「もう終わっている」とか、「もぬけのからになった」人であると見られることです。
 しかし、オーストラリアの看護士で牧師でもあるエリザベス・マッキンレーさんの、「たとえあなたが神をわからなくなっても,神はいつでもあなたをわかっていらっしゃる」という言葉に、クリスティーンは大きな安らぎを感じました。彼女は自分の中に見つけた変化を、「私はほんとうの私になっていく」と表現しています。過去に何が起きたのか思い出せなくとも、今という瞬間を生きる。それこそ、キリストに全てをお委ねしたクリスチャンの姿です。
 マッキンレー師は、内面の動きを語る認知症のクリスティーンと接していたとき、十字架に掛けられたイエス様が心に浮かんだといいます。そして、「認知症の人たちのためにも、神はおられるということを信じないのならば、イエスが私たちのためになさったことを否定することになりはしないか」という思いになりました。そのとき、マッキンレー師自身も大きく成長でき、信仰を持つ者同士が、互いを訪ね、語り合うことで、両者が慰められ、力づけられました。そして、信仰を健全にして行くことができたのでした。

D.結び

 信仰を持つ者は、語り合い、信仰の基本に触れることで、互いに励ましと力づけを得ましょう。聖書は、神さまからの愛の書簡なのです。
御翼6月号その3より


  
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